辞書: 自由

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自由とは

責任のことです。

「自由=責任」の由来

産業人の未来

1つ目は、ドラッカーの「産業人の未来」p139「第6章 自由な社会と自由な政府」から来ています[^1]。

自由の本質は別のところにある。自由とは責任を伴う選択である。 自由とは権利というよりもむしろ義務である。 真の自由とは、あるものからの自由ではない。それでは特権にすぎない。 自由とは、何かを行うか行わないかの選択、 ある方法で行うかほかの方法で行うかの選択、ある信条を信奉するか逆の信条を信奉するかの選択である。 自由とは解放ではない。責任である。楽しいどころか一人ひとりの人間にとって重い負担である。 それは、自らの行為、および社会の行為について自ら意思決定を行うことである。 そしてそれらの意思決定に責任を負うことである。

これを言い換えると、責任を放棄する人は自由を奪われても仕方ないということです。

マネジメント(上)

ドラッカーは逆に、自らが責任を持つべきところでないところに、 責任を持つことを厳しく諌めています。

「正当ならざる権力の行使を求める社会的責任の要求を受け入れてはならない。 自らの利益のためにも受け入れてはならない。 正当ならざる権力は権力ではないからである。 まさに社会的責任の名のもとに抵抗すべきである。 つまるところ、そのような要求は、社会的無責任の要求だからである。 真摯な要求か、権力がらみの要求かは関係ない。 社会的責任を要求されたならば、「われわれは権限をもつか。もつべき「か」を考える必要がある。 もし答えがノーならば、そのような要求は拒否するのが社会的責任である。 しかしノーというだけではすまない場合がある。そのようなとき、 マネジメントたる者は、社会の問題に対して責任をとることが、 自らの本業を損ない傷つけるならば抵抗しなければならない。 要求が自らの能力以上のものであるときにも抵抗しなければならない。 責任が不当な権限を意味するときにも抵抗しなければならない。 しかし、問題がきわめて重大な性格のものであるときには、 問題の解決について徹底的に検討し、その解決策を提案することが必要となる。 問題が深刻であれば、結局は何かがなされなければならない。 あらゆることにあらゆる組織のマネジメントが無関係であろうとしていたのでは、 結果は無残というべきである。

参考文献