辞書: 統治と実行の分離

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統治と実行の分離とは

ドラッカーが唱えた、再民間化(民営化)の本質です。

権限の移譲ではない

断絶の時代p238〜239「第10章 政府の病い」に以下のように書かれています。 (漢数字→アラビア数字のみ変更)

政府の仕事は、社会のために意味ある正しい意思決定を行うことである。 社会のエネルギーを結集させることである。 問題を浮かび上がらせることである。 選択を提示することである。換言するならば統治することである。

しかしこのことは、すでに明らかなように実行することとは両立しない。 統治と実行を両立させようとすれば、統治の能力が麻痺する。 意思決定のための機関に実行させても貧弱な実行しかできない。 それらの機関は実行に焦点を合わせていない。 体制がそうなっていない。そもそも関心が薄い。

今日軍や行政府や病院がマネジメントのコンセプト、原理、方法について 企業を参考にしていることには、理由がある。

企業はこれまでの30年間、今日の政府が直面している問題すなわち 統治と実行の両立に取り組んできた。その結果アメリカの企業の経営陣は、 この両者を分離し、特にトップの機関すなわち意思決定者を実行から 分離させなければならないことを学んだ。

もちろんこの言葉は誤解されやすい。 トップマネジメントの弱体化を意味しかねない。 だが構造と秩序の原理としての分権化の目的は、 トップマネジメントを強化し、トップとしての仕事を行えるようにすることにある。 実行はそれぞれの使命と目的をもつ現場のマネジメントに任せ、 中央のトップが意思決定と全体の方向づけに集中できるようにすることにある。

国にこの教訓を適用するならば、実行の任にあたるものは、 まさに政府以外の組織でなければならない。

国における分権化とは、地方政府が実行の任にあたるという連邦制のことではない。 実施、活動、成果という実行に関わる部分は、政府以外の組織が行うという原則のことである。 この原則は、再民間化と呼ぶことができる。

民営化というと「政府がやっていることをそのまま民間がやる」と 誤解されがちですが、あくまで実行の分離です。

日本における成功例

統治と実行の分離がうまくいっている例として、 日本の通信事業が挙げられます。 しかし、完全な自由競争をさせていたら、 採算が取れない過疎地域は電話もインターネットも使えなくなってしまいます。

そのため、ユニバーサルサービス制度によって、 NTT東西に交付金を提供することにより、ユニバーサルサービスを提供しています。 もちろん、この交付金はNTT東西のいいなりの金額ではなく、 総務省が決めた算定方式に基づき、決められます。

この場合は、ユニバーサルサービスを提供するNTT東西が「実行」であり、 補填額を決める総務省が「統治」と分離されています。

統治こそが問題

民営化を「統治と実行の分離」として考えることで、問いが見つかります。 それは「統治」とは何かです。 事業者に対し何を要求すべきか。サービスなのか、安全性なのか、 金銭で解決できる問題なのか、公平さのためにどれだけ出せるか、 どこまで完全性が必要かといった方向性を決めることです。

参考文献