辞書: 「経済人」の終わり

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「経済人」の終わりとは

ドラッカーのデビュー作です。 1939年4月、ドラッカーが29歳のときに刊行されました。 原題は"The End of Economic Man"です。

政治の書

ドラッカーは経営学者として有名ですが、 この本は「本書は政治の書である」と書かれています。 その内容は、当時隆盛していた全体主義、特にナチズムを分析しています。

若気のいたり

ドラッカーの初期作、特にこの「経済人」の終わりと、次の産業人の未来は ドラッカーの著書の中でも異色です。 なぜなら、非常に論理的に書かれているからです。 書評を書いたウィンストン・チャーチルも、以下のように書いています1

ドラッカーは、独自の頭脳をもつだけでなく、 人の思考を刺激してくれる書き手である。 それだけですべてが許されるという存在である。 とはいえ、強いていうならば本書では、熱中のあまりか、 パズルの断片を緻密にまとめすぎているところがある。 実のところ、機械論的な世界観の危険を説く人物が、 若干自らの論理にとらわれているところが興味深い。

ドラッカー本人は「若気のいたり」と言ってたそうです2

あともう一つ、その後のドラッカーならまずやらないというのが、 「未来を予言したこと」です。 この本の第8章のタイトルがそのまま「未来」と書かれていて、 ドイツとソ連が手を組むと指摘していました。 その指摘は正しく、半年後に独ソ不可侵条約が締結されています。

国民性による説明を否定

全体主義批判の書は世の中にたくさんありますが、 この本が違うのは、全体主義を「批判」でなく「否定」したことです。 ブルジョア資本主義、マルクス社会主義、キリスト教が全て失敗したにもかかわらず、 その失敗を認めないことこそが、 絶望した大衆を全体主義へ走る土壌を作ったと書かれています。

また、ドイツとイタリアに共通するのは「与えられた民主主義」であることのみで、 それ以外の国民性による説明を欺瞞と批判しています3

国民性とは、あまりに複雑であって、矛盾に満ち、 理解不能な要因に左右されるがゆえに、 何でも盛りこめるという代物である。

組織論

全体主義を理解するために、 ドラッカーは「組織」を取り上げました4

ここでは一つだけ予告しておきたい。 それは、ファシズム全体主義は信条と秩序の代役に「組織」を充てることによって、 問題解決のためのお守りにするということである。

全体主義は社会的な安定をもたらすために、 徹底的な自由の否定を行い、多数の「組織」を作りました。 それにより「完全雇用5」を実現し、社会の安定をもたらしたと書かれています。 しかし、全体主義の組織は非常に効率が悪く、 社会に安定をもたらすことはできても、 それは皆が等しく貧しくなっていくにすぎません。

自分は、ドラッカーが指摘した、全体主義の硬直的な「組織」を反面教師にして、 ドラッカーが発展させていった、マネジメントによる 躍動感のある「組織」が生まれたかもしれないと考えています。

なぜドラッカーは「マネジメント」を発明したか

この本ではあくまで「経済人」という人間像が終わった、 全体主義は自己犠牲が出来る「英雄人」という人間像しかもたらすことしかできない、 というところで終わっています。 「英雄人」に代わる具体的な人間像については書かれていません。

ドラッカーの次の著書は「産業人の未来」、 原文だと"The Future of Industrial Man"です。 これは"The End of Economic Man"と対になっています。

ドラッカーは、資本主義の失敗から学び、 一人一人が自律的に生き生きと働く社会、それを産業社会と呼びますが、 その社会を生産的に、建設的にするためには何が必要かを語ることにより、 「英雄人」に代わる「産業人」という人間観を提示しています。

その後、ドラッカーはその考えを発展させていき、 現在は「知識労働者6」あるいは「テクノロジスト」と呼ばれる人々が 社会の中心になると言いました。

そして、その「産業人」の考えを発展させるためには、 その中心となる組織、「企業」を研究する必要があり、 その次の著作の「企業とは何か」が生まれ、 それ以降のドラッカーのキャリアを築いていきます。

すなわち、以下のようになります。

  1. 資本主義、社会主義は「経済人」という概念に依存していたが、これが失敗した。
  2. その反動である全体主義は「英雄人」という概念しか作れなかった。
  3. 「経済人」に変わる価値観として「産業人」という概念を提示した。
  4. 「産業人」という概念が機能するためには、その中心となる「企業」を機能させる必要が出てきた。
  5. 「企業」を機能させるために「マネジメント」を発明した。

その後、「マネジメント」は営利組織に限らないということで 「非営利組織の経営」を書いたり、いろいろありますが、 問題意識の原点がここに詰まっています。

批判でなく希望を

この本から学ぶべきことは、「全体主義が悪であるという事実」ではなく、 全体主義をもたらしたのは、大衆の絶望であるということです。 ある体制、ある指導者を安易に「全体主義者」と批判することは、 大衆の絶望を無視しているのと同じです。

ドラッカーは、「ファシズム全体主義の道に代わるものが示されるや、 しかもそれが示されたときにおいてのみ、ファシズム全体主義のあらゆる魔術が 悪夢のように消える」と言っています7

恵まれない人が愚かな行動をしているのなら、 その人を批判し、矯正するのではなく、 手を差し伸べ、希望を与えるこそが問題解決の糸口になります。


  1. 付録1 一九三九年初版へのチャーチルによる書評 p252 ↩︎

  2. ほぼ日刊イトイ新聞 - はじめてのドラッカー ↩︎

  3. 第5章 ファシズム全体主義の奇跡ー―ドイツとイタリア p111 ↩︎

  4. 第1章 反ファシズム陣営の幻想 p21 ↩︎

  5. 完全雇用 - Wikipedia ↩︎

  6. 頭だけしか使わない「知識人」とは別で、頭と体を両方使って働く人たちです。 ↩︎

  7. 第7章 奇跡か蜃気楼か p220 ↩︎