技能と知識の違い
「断絶の時代」p307より、
技能そのものも変化した。これまでは見習いとして習得した技能は、 その後ずっと使い続けられるものとされていた。 仕事の中身や方法が定まっていた。経験によって習熟すべきものであって、 青二才ごときでは身につけられない聖なるものとされていた。
これに対して知識は、その本質からして革新的たらざるをえない。 知識は究め尽くそうとする。すでに知られているものはすでに陳腐化しており、 今日のものではありえないとする。しかも知識は縄張りを無視する。 金槌が大工の道具であって、レーザーが物理学者の道具であるなどということには頓着しない。 知識を基盤とする技能は、縄張りに関わりなく変化していく。
例えばある技術を学ぶ場合、以前は経験によって学ぶしかありませんでした。 ある熟練労働者が10年かけて身につけたものを新人が身につける場合、 10年かけて経験から学ぶしかありませんでした。
しかし知識社会では、新人でも知識と訓練によって60点の技能を身につける事が可能です。 知識と訓練だけで100点を取ることはできないとしても、10年かけずに学ぶことができます。
2015年11月に堀江貴文が、「寿司職人になるのに8年もかかるってバカか」とブログで発言し叩かれ炎上したことがあったが、これなどはまさに、作業の標準化と組織としてのパフォーマンスの最大化を理解しない人が多いことの証左だ。
教育だけでは100点や95点の人材を育てることはできないが、少なくとも65点の、プロとして最低限通用する人材を速やかに育てることはできる。彼が言っていることは、まさにこのことだ。
ドラッカーが言っているのはこれと同じです。