否定こそが綱領とは
ドラッカーが、ファシズム全体主義特有の症状を指した言葉です。
元は「経済人」の終わりp12「第1章 反ファシズム陣営の幻想」に載っています。
ファシズム全体主義には、前向きの信条がない代わりにおびただしい否定がある。 もちろんあらゆる革命がそれまでのものを否定し過去との決別を信ずる。 そこに歴史的な継続性を見出し、あるいは見出したと思うのは後世の見方にすぎない。 しかしファシズム全体主義においては、歴史上のいかなる政治運動と比べても、 過去の否定がはるかに徹底している。なぜならば、否定がその綱領だからである。 しかも、さらに重要なこととして、 ファシズム全体主義は対立する理念があればそれらの双方を同時に否定する。 ファシズム全体主義は反リベラルであると同時に反保守である。 反宗教であると同時に反無神論である。 反資本主義であると同時に反社会主義である。 反軍国主義であると同時に反平和主義である。 反大企業であると同時に、あまりに多すぎるがゆえに反職人、反商店である。 挙げれば切りがない。
原文(英語)では「否定がその綱領」というのは以下のようになっています。
Fascism, however, goes much further in its negation of the past than any earlier political movement, because it makes this negation its main platform.
否定では物事は解決できない
よく「◯◯はヒトラー」と批判する人がいますが、 そのヒトラーに近いのは、その批判する人自身ではないかと思います。 なぜなら、その人を見ると、何かを否定することしかしていません。 また、ニュース嫌いも同じ理由で、ニュースは基本的に否定しかしません。
もちろん「現状が一番良いから変えることを否定する」場合もありますが、 大抵は「否定」という結論が先に来て、理論は後付けのため、 逆説ですらない、こじつけ未満の言いがかりばかりです。
そういう人を、自分は最も嫌います。